いまやすっかり銚子名物となった「ぬれ煎餅」に、衝撃のネーミング「まずい棒」、さらには「超C(銚子)級」映画の制作まで。
次々と繰り出されるアイデアで幾度と倒産の危機を乗り越えてきた銚子電鉄ですが、2020年の新型コロナウイルスの流行による影響はかなり深刻だったとのこと。
逆境の中でもあくなき挑戦を続ける、銚子電鉄に取材しました。
▲お話を聞いた、銚子電鉄鉄道部運輸課長補佐の鈴木一成さん。商品開発にも携わっています!
ちいき新聞では、新型コロナウイルスに負けず新たな挑戦をするローカル企業・お店を応援しています。ちいき新聞webで紹介してほしい新たな取り組みがあればこちらまでお問い合わせください。※紹介可否は弊社内規定にて決定します。
苦しくても挑戦を続ける
倒産の危機に幾度も見舞われるも、絶妙なアイデアで難局を乗り切ってきた銚子電鉄。
その取り組みは各メディアでも取り上げられています。
ところが、新型コロナウイルス流行を受け、4月の売上は大幅に減少。この6、7月を乗り越えられるか…という厳しい状況に陥りました。
「そんなときでも社長は、『苦しいけど、一致団結してやっていこう』と、社員を鼓舞していました。ですが先が見えない状況で、正直、不安も大きかったですね」と話すのは、銚子電鉄鉄道部の鈴木一成さん。
社長の竹本勝紀さんといえば、経営状態が「マズい」にかけて売り出し大ヒットした「まずい棒」など、数々の人気商品を生み出したアイデアマンでもあります。
鈴木さん曰く「社長は常にポジティブ」。とにかく、明日も明後日も電車を走らせるために、絶対に諦めない――そんな社長の信念を間近で感じた鈴木さんも、前向きな思いを取り戻せたのだそうです。
コロナ禍だからできること
銚子電鉄では、安心して利用してもらうため、車両に抗菌・消臭処置を施しました。加えて、外出がままならない今だからこその、オンライン販売にも注力しています。
▲趣のある銚子電鉄の車両。
会社の心情をモロに表した「お先真っ暗セット」や「廃線危機救済セット」もオンライン販売で人気を呼び、各50セット完売したとのこと!
「お先真っ暗セット」は「お先真っ暗オーバーサングラス」をはじめ、銚子電鉄3000系がプリントされた強力マグネットや、銚子電鉄の営業距離6.4kmにちなんだ長さ6.4センチの定規型キーホルダーなど、人気アイテムがセットに。
一方で「廃線危機救済セット」は「SL運転記念銚子駅到着切符」など過去に発売した記念切符や記念券などを中心とした詰め合わせ。
既存の商品でも、組み合わせてセット売りにすることで、新たな価値が生まれるんですね。すばらしい…。
9月には、「さらにマズくなりました…経営状況が(涙)」の謡い文句で「まずい棒 かる~いチーズ味」も発売したばかり。
▲自虐が過ぎる。
その他、線路の石を洗浄、ワックスがけした後に缶詰めにしたその名も「線路の石」をはじめ、あっと驚く商品も話題を呼んでいます。
最近開始した竹本社長出演のYoutube「激辛(げきつら)チャンネル」でも「売れるものは何でも売る」ときっぱり。
フットワークの軽さは銚電ならでは!
前述の「まずい棒」をはじめ、とにかくアイデアがすごい銚子電鉄のグッズたち。
「一般的な企業だと、まず商品会議があって、稟議を通して、サンプルを作って…と段階を踏むのでしょうが、うちの場合はそういうのはなくて。社長が突然ひらめいて、それを立ち話で共有されることもあります。商品開発は、私ともう一人のスタッフでやっているのですが、それも思い付いた段階で社長に報告。コストと相談して問題なければ、もう作っちゃいます」と鈴木さん。
もし売れなくても、「じゃあこれを売るためにはどうしたらいい?」と社長はじめ、社員が頭を絞って考えるそう。そんな前向きな企業姿勢は私たちも見習いたいところです。
鈴木さんも普段の仕事の傍ら、道行く人の服や持ち物をじっくり観察したり、車両や駅舎に商品のヒントになるものないかと眺めたり、常にアンテナを張っています。
▲取材を行ったのは「チーバくん号」車内。当初は1カ月の運行予定でしたが、好評なので延長、延長で気付けば約1年に。
ぬれ煎餅から始まった銚電の奇跡
そんな銚子電鉄のルーツは大正時代までさかのぼります。1913~17年の4年間、銚子から犬吠をつないだ銚子遊覧鉄道がその母体。
銚子遊覧鉄道は、第一次世界大戦中に廃線となりましたが、1923年に銚子鉄道として復活。25年には国内でもいち早く電気化されました。第二次世界大戦中の銚子大空襲により、一時は運行不能に。1948年に銚子電気鉄道として再出発し、今に至ります。
▲仲ノ町駅では車両見学もできます。
最盛期の60年代には、乗車数は年間150万人を超え、夏季には新宿から外川を結ぶ海水浴列車も運行していたのだそう!
ですが、自家用車の普及に伴い、銚子電鉄の利用者は激減…。鉄道収入だけではにっちもさっちもいかなくなり、稲毛駅や千葉駅まで出向いて、ポストカードなどの実演販売なんかもしていたそうです。
76年には、銚子電鉄観音駅でたい焼きの販売をスタート。銚子電鉄が取り扱う初の食品となりました。しかし、どうしても夏には売上が落ちてしまう…。
そこで95年に登場したのがご存じ「銚電のぬれ煎餅」です。
当時の経理課長のアイデアで、「銚子観光のお土産を作ろう」と誕生したのがきっかけ。社員が自ら、製造・販売するというユニークさも注目され、一躍有名になりました。
\詳しいエピソードは、こちらの記事で紹介しています!/
99年の年間売上は、鉄道1億5000万円に対し、ぬれ煎餅が2億円と、ここからもぬれ煎餅の人気ぶりがうかがえますよね。
明日に線路をつなげるために…
その後、何度かぬれ煎餅ブームがありつつも、相変わらずの経営難。
それでも「お化け屋敷電車」といったイベント電車の運行や商品企画、駅名愛称のネーミングライツ販売など、柔軟な発想でチャレンジを続けています。
2020年の秋には、大ヒット映画「カメラを止めるな!」にインスピレーションを受けて製作したオリジナル映画「電車を止めるな!~のろいの6.4km~」も上映。
▲映画の収益は、老朽化した変電所の修繕費などに充てられる予定
最近では、オンラインで商品を知ったファンを中心に、少しずつ電車の利用客も増えてきているとのこと。
「応援してくれる地域の方やファンのためにも、明日に線路をつなぎたい」と鈴木さんは力強く語ります。