「純烈」インタビュー~令和シニアのパワフルな応援に元気もらってます!~
ファンとの距離の近さで有名な純烈の皆さん。
間近で感じたシニアパワーのほとばしりや面白生態などについて、愛情たっぷりに話してくれました。(取材日/2020年4月2日)
2010年にシングル「涙の銀座線」でメジャーデビュー。元戦隊ヒーロー出身の俳優を中心としたメンバー4人からなるムード歌謡コーラスグループ。健康センターやスーパー銭湯でのライブから人気に火が付き、2018年・2019年とNHK紅白歌合戦に連続出場。2020年2月、11枚目のシングル「愛をください〜Don’t you cry〜」をリリース。
公開 2020/06/10
編集部 R
「ちいき新聞」編集部所属の編集。人生の大部分は千葉県在住(時々関西)。おとなしく穏やかに見られがちだが、プロ野球シーズンは黄色、Bリーグ開催中は赤に身を包み、一年中何かしらと戦い続けている。
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キューティーハニーから100歳近いマダムまで~個性的なファンとの出会いも楽しみ
―リーダーの酒井さんが大けがをして入院し、今後の人生について考えているときに、連日夢に前川清さんが現れたことが純烈誕生のきっかけとなりました。
そこで「ムード歌謡をやってみよう」とひらめいたそうですね。
酒井 自分の親やおじいちゃんおばあちゃんの世代が一番なじんで、カラオケなどで歌ってきたジャンルがムード歌謡。
年を重ねて肉体の衰えやら不安が募る中でも、昔元気だった頃の記憶がよみがえるような歌で、ライブで一緒に盛り上がれたら元気になれるんじゃないか?と。
うまくいくかどうかは分からないけど、やってみる価値はあるよな、と思って始めました。
ティーンや若い世代には響かないジャンルですけど…人口分布の一番デカい所を狙ったというのはありますね。(笑)
―さすがです(笑)。
デビュー当初、健康センターやスーパー銭湯で歌い始めたころの状況は今ほど熱狂的ではなかったと思うのですが、お客さんの反応はどんな感じでしたか?
白川 お客さん自体少なかったですし、僕たちのデビューシングル(2010年「涙の銀座線」)を歌っても寄ってこなかったんですが、「ラブユー東京」のようなムード歌謡の有名な曲を歌うと空気が変わるんです。
施設のあちこちから買い物していた人たちが集まってきて、カートを止めて歌を聞いてくれたり、ご年配の方が一緒に口ずさんでくれたり。
純烈を始めるまで、ムード歌謡がここまでご年配の方の心に刺さるとは僕自身は分かっていなかったですね。
当時まだテレビ出演もなく知られていなかったので、「なんだか大きな若いやつらが昔の歌を歌ってくれてるぞ」みたいな感覚で少しずつ認識されるようになって、徐々にですが広まっていったのかなと思っています。
▲筋トレが趣味というストイックな白川さん
―いつごろから熱狂的な感じになっていったのですか?
後上 もともと僕たちのファン層のシニアの方々はすごくエネルギーを持っていらっしゃるんです。
酒井 そう、エネルギーはあるけど発散する場がなかった。
そんな人たちが僕らを見て「あ、ここは発散していい場所なんだ」と気付いてからお祭り的に盛り上がっていって、その盛り上がりに引き寄せられて輪がちょっとずつ大きくなっていって。
―元気なマダムのファンが多い純烈さんですが、ライブに来る皆さんは最初からはっちゃけていらっしゃるんですか?
酒井 いやいや、最初からはっちゃけてる人は100人に1人ぐらいですけど、だんだん変わってきます。
女子は最初みんな猫かぶって来るじゃないですか。
その猫を3回目ぐらいから置いてくる(笑)。
あ、ここでは自由にしていいんやな、ワンちゃんで言うたらドッグランみたいに走り回っていい場所なんやって。
僕らも元気でテンションの高い人に会いたいんで、ツアーでどんなことをしたら面白い人に出会えるかな…というのを常に考えながらやっています。
―これまでに遭遇した「面白い人」、教えてください。
後上 結構いますよね。
酒井 メンバー全員分のブラジャー作ってきてくれたり。
「おばちゃんギャグ」ですね。
胸の谷間をバカっと開けて見せてくるマダムもいますよ。
通称キューティーハニーね。
それなりのお年だけど…
白川 一生懸命(谷間)作ってきてくれます。
―ちなみにファンの最高齢はどのぐらいですか?
小田井 100歳近い人はいますよ。
ー来てくださるファンの方たちのことを、よく覚えているんですね。
小田井 特に健康センターやスーパー銭湯の常連さんは覚えてますね。
悲しいけど年に何回かはなじみのお客さんの訃報を聞くこともあるので、元気な顔見ると安心するというか…。
そういうこともあるから、シニアの皆さんに応援していただくということは、すごく重みのあることやと思ってます。
だって、もしかしたらその人が「人生最後に応援したアーティスト」が純烈になる可能性があるわけやから。
歴代すごい名だたるアーティストの方々を応援してきて、最後が純烈って。
すごくありがたいですけど、ほんまに僕らでいいの?(笑)
▲ダンディーな小田井さん。奥様は映画コメンテーターのLiLiCoさんです。
酒井 気持ちとか魂が元気な人って、年をとってもずっと元気なんだよね。
そういう人でも体が動かなくなると、落ち込むこともあるじゃないですか。
そうなってからも、ぶわっと燃え上がれる場所を提供したり、一緒になってバカやったり。
純烈は、歌や踊りの上手下手では勝負していない。
一番大切なのはハート。
人生のラストステージを楽しく盛り上げられたら本望なんです。
家族の歴史を共有してくれる温かいファンに支えられて
―ファンとの距離の近さを感じます。
小田井 家族で来るお客さんが多いので、その家族の成長を見せてもらえるのがうれしいですね。
最初親に連れられて見に来てた小さい子が、どんどん大きくなって。
やれ彼女ができた彼氏ができた、部活頑張ってる、とかね。
酒井 「一緒に紅白を目指していたら本当に出られた」なんて絵本みたいなストーリーが現実になったのは、どこに行っても家族みたいに接してくれるファンの人たちのおかげ。
そういう人間関係があったからこそ、なかなか芽が出なくても腐らずにやってこられた。
あくまでお客さんではあるんだけど、どこか少し家族みたいな感じもあってね。
お会いしたら調子のよしあしなんかもすぐ分かりますよ。
髪切ったなとか、目ぇきらきらしててええ感じなんやなとか。
逆に、髪ぼっさぼさのバッシバシのふ~~ってなってたら「完全に病んでるわ…。大丈夫やろか」って心配になるけど、とりあえず「だいじょぶだいじょぶ!元気だせよ!」って声掛けてね。
それで「元気もらった」って言ってもらえると僕らもすごくうれしくて、こっちも元気もらえるんです。
だから新型コロナウイルスの影響でツアーができないのはつらい。
きっちりと終息して再開できた暁には、エンジン全開で行きますよ!
みんなも待っててくれてるんで。
▲名プロデューサーでもあるリーダーの酒井さん。インタビューの最中にもいろんなアイデアが飛び出します
シニアの皆さんの手にそれまでの生きざまが見えるんです
―いまはアーティスト情報はSNSや動画でゲットする時代ですが、純烈ファンのシニアの皆さんも年齢関係なく使いこなしていらっしゃいますか?
酒井 みんながバンバン使いこなしてるっていうわけではないんですよ。
最初はガラケーとかレンズ付きカメラを持って写真撮影に来られるんですけど、若い人がスマホで撮った写真を見て、そっちの方が画質が全然良いってことが分かった瞬間、即「スマホにしようかしら」って。
そこからどんどん進化して、ファン同士でラインしたりブログやYou Tube見たり…。
好きこそものの上手なれやね。
後上 夢中になったものに対してのパワー、意欲がめちゃくちゃすごいよね。
僕たちがコンサートで何気なく言ったこと、自分たちが忘れてしまっているようなことでも覚えてくれていて、「〇月のコンサートで●●が欲しいって言ってたから、持って来たわよ」とかね。
一瞬一瞬を全て記憶にとどめて、自分たちの中に刻み込んでいくように楽しんでくれているのを見ると、本当にありがたいしすごいなって思います。
―シニアの皆さんから学んだことを教えてください。
小田井 個々の人から学んだことはそれぞれ違うんで、一口には言えないですけど、確実に言えることは、コンサートで握手したとき、シニアの方って、握った手に生き様がすごく出てるんですよ。
この人はどういう生き方をしてきたのかっていう。
職人さんからご令嬢まで、本当に切り株の年輪みたいに手に現れるんです。
若い子と握手してもそんなに差は感じないですけど、シニアの皆さんは一人一人全然違いますね。
シニアになった純烈が新ジャンルの曲に挑む!?
ー30年後、皆さんはどんなシニアになっていたいですか?
酒井 子育てをきっちりやって奥さん孝行をちゃんとできてたらいいな。
夫婦の時間を取って二人で旅行したりして。
純烈も続けていますよ。
「ここの会場、若いころよう来たな~」とか言いながら、お客さんを笑わせているのが夢です。
後上 ファンの皆さんの楽しむことに貪欲な姿勢を見ていると、自分もああいうふうになりたいなと思います。
僕の同世代やもう少し下の世代の人たちって、どうしても風評とか、他人からどう見られているかとかを気にしがちなんですけど、「自分が楽しければそれが一番」「他人がどう言おうと自分は自分」という姿勢をしっかり持っている、そういうシニア像が理想です。
白川 日常的なことですと、「ありがとう」「ごめんなさい」、ごはんを作ってもらったら「おいしいよ」。
そういう言葉を当たり前のように言える人間でいたいですね。
小田井 この身長だと介護も大変やろうから、元気でいたいなー。
自分は純烈から派生した別のことをやってる気がするけど…。
純烈は後上くんが唯一メンバーで残っていて、全く違うメンバーと一緒にやってるんじゃないですか。
白川 30年後っていったら、こいつも60過ぎてるけどね。
酒井 いやいや、まだ若手でしょ!
後上 (笑)
▲最年少の後上さん、30年後の純烈を託されちゃいました!
小田井 そうやって純烈もお客さんも少しずつ入れ替わりながら、ずっと前に転がっていければいいなって思いますけど。
白川 30年後だったら不老不死の薬ができてるかもしれないよ。
小田井 それ、できても発表したらあかんやつや。
20代のままで止まるんやったらええけど90歳とか100歳で飲んだら…
酒井 膝痛いまま生き続けることになるで。
白川 でも仙豆みたいなのができるかもしれないし…。
(※仙豆…漫画「ドラゴンボール」に登場する、体力を回復させる豆)
―そしたら永遠に純烈を続けてください(笑)
酒井 まあムード歌謡の先輩たちも高齢になっても続けられているんで。
僕らもできたらすごいなあと思いますね。
―でも、さすがにダンスの曲は減っちゃうかもしれませんね。
酒井 もちろん!
どんどん減らす!
直立不動どころか、アニメでええやろ(笑)。
小田井 イントロが3分ぐらいある曲を作ろう。
舞台の袖からステージに出てくいくまで時間がかかりそうやから。
酒井 で、ステージに着いたと思ったら一節、「●●だったのよ~」と歌っていきなり終わる(笑)。
小田井 そんでまたゆ~っくり歩いて袖に戻る。
酒井 名付けて一節(ひとふし)曲。
―新しいジャンルになるかも…
酒井 やりましょう!
白川 それ、面白いかも。
小田井 お客さんでも、握手会のとき階段上がって僕らの所に来るまで、めちゃくちゃ時間かかる人おるんですよ。
もうイントロの長い曲を作るしかないですよね。
後上 誰もやってないね。ほぼインスト。(笑)
―最後に読者に向けて、メッセージをお願いします。
酒井 これからも極力ショッピングセンターや健康ランドといった身近な場所にお伺いできるよう頑張りますんで、近所で見かけた際はぜひ一度、純烈ライブに遊びに来てください。
後上 学校の標語で「来た時よりもきれいにして帰ろう」というのがありますけど、純烈ライブに関しては「来た時よりも元気になって帰っていただこう」という思いを強く持っています。
それが実現できるようにステージで頑張りますので、ぜひ足を運んでください。
白川 外出規制や自粛で気持ちも沈んでしまうような時期ですけど、状況が終息してライブができるようになったら、来てくれた人、男も女も関係なく抱きまくって濃厚接触しまくりたいと思います!
小田井 自粛中、階段から落ちたりとか、コロナと全く関係ない所でけがや事故に遭うこともあるんで、しっかり気を張って生きていただきたいと思います。
そうやって事が終息するのを待っていただきつつ、ライブが再開されたらぜひ生で見ていただきたいです。
それまで安全に過ごしてください。
―ありがとうございました。