
有名サーカスの舞台裏。ライオン調教秘話!団員は共同生活?3カ月で転校?
13年ぶりに千葉県柏市で公演している木下大サーカス(11月26日まで)。
木下大サーカスといえば、ホワイトライオンによる世界の猛獣ショーや、ダブル空中ブランコショーなど他ではあまり見られない演目に注目が集まります。
ライオンの調教、空中ブランコ、オートバイショーなど危険と隣り合わせといえるサーカス。
サーカスの舞台裏、気になりませんか?
団員さんたちは共同生活? 家族は? ショー出演以外の仕事は? などなど、メンバーの方々にお話を伺いました。
公開 2018/10/17(最終更新 2021/05/10)

ライオン調教師 アニマルトレーナー マイケル・ハウズさん

――――調教師になろうと思ったきっかけはなんですか?
調教師になろうと決めたのは19歳の時。
私が8歳の時に父親が動物の事故に遭ったので、迷いもありましたが、調教師という道に進むことを決めました。
皆さんにもきっとあるように、私にも将来の仕事…動物の調教師が運命だったと思います。
――――調教師になるために必要なスキルは?
強い精神力です。
動物の気持ちは日々変わるので、気持ちをコントロールすることが大事です。ライオンの檻に入るときは、「今日が死ぬときかもしれない」という緊張感を持っています。
周りの人に何を言われても、自分の考えをしっかり持って動物に接しないといけません。
それから、檻に入ってもあまり長居はせず、20秒くらいで出るようにしています。
その20秒間に、動物の様子、食事やトレーニングについて考え、余計なことは考えないよう集中しています。

――――毎日、「今日が最後かもしれない」って思って生きるのは、精神的な苦労もあると思いますが、どのように精神を保っていますか。
私にとって動物が一番で、私の人生そのものです。
動物と接することは、毎朝歯を磨いて、ご飯を食べてといったことと一緒。
それが私の人生なので、特別なことではありません。
――――調教師はどのようにしたらなれるんですか?
誰かに師事するのが一般的ですね。
そして、まずは檻の掃除などから始まり、師匠に見込まれれば教えてもらえますし、見込まれなければそれまでです。
私もまだ毎朝、掃除してますよ(※)。
それから、檻に入って、動物に近づいたときに動物の反応も見ます。
人によっては警戒される人もいるので、そうなると調教師としては難しいですね。
※休みは、取れても1週間で半日。動物の世話をしないといけないので、朝の5時半~6時くらいから仕事をしているとのこと。
――――実際にやりたいと志願してきた人はいますか?
今まで弟子はとったことはないですけど、実際にとるとなったら全てを教えたいです。ただ、それに相当する方は今までいなかったです。
――――ライオンにはこちらの言っていることは伝わっているのですか?
言葉の意味は分からないので、発音や言い方で反応しています。
あとは、言葉と言葉の組み合わせで、「これはこういう意味だ」というのを覚えさせていきます。
とにかく時間をかけて覚えこませていくので、もし今新しい芸を始めるとしたら、ものすごく時間がかかります。

――――今のライオンたちとはどのくらいの付き合いですか?
私が木下サーカスに来て6年。その前に、イギリスで今のライオンたちを調教していた時期もあるのでトータルで10年くらいですね。
最初はイギリスでライオンを調教して、あの子たちが日本に来るってことになったので、一緒について行き、違う調教師に一度託したりしたのですが、その調教師と交代することになったので再会したんです。
――――ライオンの寿命は?
それぞれ差はありますが、15~22歳。ショーにでているライオンの中では19歳が一番年上ですね。
――――ライオン以外の調教もできるのですか?
時間をかければ、もちろんできます。
過去には、カバとかハイエナとか猿とかフラミンゴとか、映画に出演させる動物の調教をしていました。
ハリーポッターに登場する動物や101匹わんちゃんのダルメシアンのトレーニングも行っていました。
私が小さい頃は、家にチンパンジーがいて兄弟みたいに過ごしていました。それから、狼がいたときもあって、息子たち(※)はよく一緒に遊んでましたね。
※長男のマイキーさんは調教師を希望していたこともあったそうですが、今は、日本の伝統芸「坂綱」に演者として出演しています。

(木下大サーカスでは、マイケルさんによるシマウマショーも)
――――練習と本番では状況が違いますが、ライオンたちは大丈夫なのでしょうか?
心配はないですね。周りの声が入らないよう、私の声だけに集中するように指導していますので。地震で揺れても、ライオンと自分は集中しているので大きな問題はありません。
ライオンが違う動きをするようであれば、自分の問題です。
もし、問題になり得るとしたら、写真撮影をしようと観客の方がライオンに近づいたときですかね。ライオンにとってはエサに見えているので、どうやって仕留めようかとおそらく考えているのではないかと。
――――調教師にとって最も欠かせないものは?
声ですね。この声でライオンたちは聞き分けているので、いちばん重要ですね。
「自分が弱いものだ」という態度をとってはいけません。小さい声とか震えるとかね。あとは体の振る舞いも大事ですね。これはライオンに限らず犬などでも同じだと思います。
――――テクニックというよりも「気」で動物たちを操っているように見えますが、いかがですか。
「体を大きく見せる」というのを大事にしています。ステージではスティックを持っているのですが、それが手の一部になっていて、より体が大きく見える。
気持ちもそうですが、そういった物を使って大きく見せています。
ショーでは、お肉をあげるためのスティックと体を大きく見せるためのスティック、2種類のスティックを持っています。手であげると食べられてしまうからね(笑)。

――――ホワイトライオンの特徴は?
普通のライオンとの違いとしては、“けんかっぱやい”というところですかね。おもちゃを与えると、ホワイトライオンの方が取りに行きますね。気が強いです。
白い毛並みは、突然変異です。もともとライオンは、白い毛色の遺伝子は持っているそうで、親が普通のライオンでも白いライオンが生まれたりすることもあるようです。
ーーーー最後に、ファンの方たちにメッセージを
ぜひ来てもらって、楽しんでもらえるとうれしいです。ホワイトライオンはすごくきれいなので見てもらいたいです!
空中ブランコ 芸術推進本部上席演技長 服部健太さん

(木下大サーカスを一言で表すと『リアル』)
――――空中ブランコのどんなところに注目して見て欲しいですか?
全体の息があっていないとできない種目になるので、チームワークを見ていただければと思います。
キャッチャー(受け手)のキャッチのタイミングもありますし、フライヤー(飛び手)の出て行くタイミング、飛び方によっては押してもらったりすることもあるので、押す人の力加減なども重要になってきます。
戻ってくるときもキャッチャーとのタイミングが合わないと戻れない。
撞木(しゅもく・ブランコの持つところ)も、惰性で動いているわけではないので、残っているメンバーがタイミングや力加減などを合わせて出しています。
――――メンバーは固定ですか?
飛ぶ人、その人を押す人など全ての担当者が決まっています。
キャッチャーとフライヤーも変わることがないので、変わるとしたら、また全て1から練習しないといけないですね。
空中ブランコは、フライヤーが6人、キャッチャーが2人でピエロが1人。全部で9人です。お休みしている人も合わせればもう少し増えますね。

――――サーカスの中で一番人気の演目だと思いますが、やりたい人は誰でも受け入れてもらえるんですか?
最初に「やりたい」って言う人は多いのですが、向き不向きもあるので、実際にチャレンジしてみて、高いところが怖くて辞める人もいますし、能力的にできなくて辞退する人もいますね。
向いている、向いてないというのはありますが、できるだけできるようにはしてあげたいです。3年、4年と頑張ってもダメな人もいますね…。
――――どのくらい練習したらデビューできるようになりますか?
デビューのタイミングは「できたら」ステージにあがります。
僕は2カ月くらいでした(笑)。
今とは時代も違うので、「とりあえずやっちゃえ」みたいな勢いでデビューという感じでした。
ただ、バッとデビューしたことで苦労もありました。練習の段階で、こうやったらこうなるとか、ダメなときはこうやって補うとか、そういったことなしにデビューしたので、急に飛べなくなって落ちちゃったときもありましたね。なので、早くデビューしたからいいともいえないですね。
――――とても危険だと思いますが、大怪我などされたことはないですか?
今は絶対安全なように命綱をつけて練習していますが、昔はなかったですからね。
ただ、器械体操をやっていたからか、落ちても大怪我になることはなかったですね。
高さはビルの4階くらい…13mくらいですね。この高さって人間が一番恐怖を感じる高さだそうです。あと、一番お客さんの顔が見える高さ(笑)。
――――緊張する高さというわけですね(笑)。演目はいつも同じですか?
演目は基本的には変わらないです。
変わるとしたらフライヤーの飛び方、一人一人の技などが変わります。
ピエロは場所が移ったりします。空中ブランコにピエロがでてくるのは、「木下大サーカス」のスタイルですね。
――――服部さんは、空中ブランコ以外にも出ていますか?
はい。古典芸が多く、砕け梯子やはねだし、それらの上乗りとして出ています。
あとは坂綱。これは、斜めでバランスを取るのが難しいんですが、私が復活させた芸なんです。

(東大寺落慶法要にも奉納された古典芸・坂綱)
――――木下大サーカスに入ってどのくらいになりますか? 服部さんにとって木下大サーカスはどんな存在ですか?
高校を卒業して木下サーカスに入りました。21年目になります。高校に募集がきていたんです。即戦力ということで、体操部とか新体操部にアプローチがくるんですよね。
「特に何がやりたい」ということがなかったので、部活の顧問の先生に勧められて行ってみたんです。まず、サーカスが職業の選択の中に入っていなかったので、「そういう世界あるんだ!?」見てみようと思いました。体操も活かせるし、抵抗は全くなかったです。
何も考えずに「いってきまーす」って(笑)。
入団して大変だったことは色々とありましたが、入る前はワクワクしていましたね。
社長が団長で、芸のチェックもしてくれます。
サーカスのメンバーは、職場であり、家であり、家族みたいな感じです。
40歳くらいのメンバーもいるので、何歳くらいまでやるかは自分次第。
長く続けられるよう頑張ります!
オートバイショー 芸術推進本部 演技助監督 高原謙慈さん

(木下大サーカスを一言で表すと『チャレンジ!』)
――――オートバイショーを始めたきっかけは?
今はちょっと怪我の関係で舞台はお休み中ですが、オートバイショーと7チェアーズショー(七丁椅子の妙技)と空中ブランコの3つをメインに担当しています。
トレーニングのやり方は違いますが、元々器械体操をしていたので、体を使う演技が得意で、趣味でバイクに乗っていたので、そのままオートバイショーという感じですかね(笑)。
2カ月前に事故をおこしたのですが、エンジントラブルから、そのまま地面に叩きつけられて、全身を強打してしまいました。
今、復帰に向けてトレーニングをしています。

(七丁椅子の妙技・7チェアーズショー)
―――――オートバイショーで、注目して見て欲しいところはどんなところですか?
見どころは、ギリギリ、スレスレ、ぶつかるかぶつからないかのハラハラ感ですかね。
絶妙なコンビネーションで、三つのバイクが走る姿とチームワークですね。

(写真の球体の中を3台のバイクが駆け巡るオートバイショーはハラハラドキドキ)
――――とても早いスピードでバイクが上下左右に移動していましたが、どのくらいスピードがでているのですか?
皆さんが思っているよりも走っている側は怖くないんです。
どちらかというと気持ちいいんです。上に行くとフワっと浮くような感じがあって。
時速もそんなに早くなくて、横回りで30km、縦回りで45~50kmくらいじゃないですかね。
公道は一切走れないショー用のバイクなんですよ。
――――オートバイショーはどのくらいやっていらっしゃるんですか?
20歳でデビューして今年で42歳になるので、22年やっていますね。
サーカスに入る前は鳶をやっていました。だから高いところは得意です。
テントの設営時は、鳶そのものみたいにテントに上っています。
――――ということは、設営も全部自分たちでやっていらっしゃるんですか?
全て自分たちでやっています。
次の公演地への引越しもみんなでやります。移動の前日はバタバタですね。
一つの場所にとどまらないので、落ち着かないといえば落ち着かないですね。
――――ご家族も一緒に移動されるということですか?
はい。3カ月に1回くらいのペースで一緒に引っ越します。
次の公演場所についたらまず役所に行き、引越しの手続きをして学校に挨拶に行って、そこから始まる感じですね。
子どもたちは引越し引越しの繰り返し。学校ごとにルールが違うので、そこは少し大変ですね。ただ、今しか味わえないだろうなと。
場所が変わることに抵抗はないですし、毎回行く先々でワクワクを感じていて、鉄柱を立てる作業がものすごく好きですね。「これから始まる」というのを実感できるタイミングです。
その後は、車を走らせてスーパーやコンビニなどの場所を確認します。
――――お子さんたちはサーカス団員になりたいと言っていますか?
サーカスやりたいとは言ってますね。ただ、勢いで言っている感じがしているので反対しています。
自分でどうしてもやりたいというならいいのですが、もっと広く色んなものを見て欲しいな、と思います。
――――サーカスに入ったきっかけはなんですか?
お客さんとして見に来て、募集があったので応募しました。
自分にできるのかな~とかは思いましたけど、オートバイと空中ブランコはやりたいな、って思って面接に行きました。
モトクロスを知り合いから借りて、飛んだりする練習はしてみたんですけど、一週周るって感覚は全然わからなくて(笑)。まー18歳でしたからね。おばかですよ(笑)。
――――長く続けられた秘訣、今後は?
ファンの方に支えられています。
「応援しています」というファンレターを頂いたりすると、迷っているときなどに元気をもらえて、「頑張るぞ」と持ち直し今に至る感じですね。
木下サーカスっていうと、日本では№1と言われているサーカスなんですけど、まだまだ改良できる点がいっぱいあると思うんです。そこを自分が変えてやろうと思えるか、そういったことを思える人物は残っていますね。
20年選手は多いです。大先輩では45年とかいらっしゃいますね。裏方に回ってサポートされています。先輩たちの歴がすごいので、20年なんてまだまだです。
サーカスに魅力があって、舞台に立つ喜びがあるので、ステージに立ち続けます!
竹渡り 竹内玲奈さん

(木下大サーカスを一言で表すと『DREAM』)
――――竹渡りの見どころはどんなところですか?
サーカスって空中ブランコや綱渡りのイメージが強いと思うのですが、竹渡りは日本の古典芸で日本らしさという良さがあって、派手ではないのですが、綱渡りと違って端が固定されているわけではないので、すごく揺れるので難しいんです。
なので、バランス力を見ていただきたいですね。
自分の軸をぶれないように、最後は、自分の体重を移動させて竹を揺らすんですけど、見応えがあると思います。
――――竹渡りを始めたきっかけはなんですか?
長くやられていた方が退団するということで、芸が途絶えてしまうので、お誘いを頂きました。
デビューしてからは4年目くらいですね。
――――その他にはなんの演目をやられているんですか?
吊ロープと玉乗りをやっています。竹渡りが一番難しい!ので、竹渡りを最初に練習して、その後に玉乗りとかをやると、すごく簡単だなと感じます。

――――木下サーカスに入ったきっかけはなんですか?
入ったのは2013年で、きっかけはステージを見てすごい感動して「入りたい!」って思って入りました(笑)。
――――その日に?抵抗はなかったですか?
自分ができるとは思ってなかったので、「出たい!やりたい!」ということではなくて、こういう仕事って素敵だなと思って、関わってみたいなと思ったんです。
電話取るとか事務でもいいので携わりたいと思ったんです。
そしたら募集の紙を見つけて、帰り道に「まだ募集していますか?」って言って(笑)、周りに驚かれながらも事務所に行って…(笑)。
元々大学に進むつもりだったんですけど、無知だったからこそ入れたし、行動できたのかなって今振り返ると思いますね。
周りからは「すごい」と言われるんですけど、何がすごいのかその当時は全然分からなくて。
やらなかったら0だけど、やったら1%でも可能性があるかもしれないから思い切って応募しました。まさか受かるとは思ってなかったですけどね。
――――共同生活をしていて困ることはありませんか?
ん~。
唯一、雨だと、お風呂からコンテナまで行く間に濡れるなっていうことくらいですね(笑)。
――――それだけ??(笑)。団員の方たちはショーに出る以外にどんな仕事をするんですか?
ショーの合間は電話をとったり、接客したり、キャストも裏方に回って動いています。
出番の5分前までバタバタしていますね。
出勤して退勤するまでは練習できないので、退勤後に練習します。
デビューする前は先生についてもらって、指導を受けながら練習をして、デビューしたら個人での練習となります。
――――竹渡りの竹の高さはどのくらいあるんですか?
2mちょっとですね。大怪我は今の所ないですが、一度落ちたときに下の人にぶつかってしまって、怪我をさせてしまったことがあって、それは今もトラウマですね。自分のことであれば、自分の責任なのでいいんですけどね。
――――ファンの方にメッセージを。
ファンレターをもらうとうれしいです。
特にお子さんからもらったりすると、すごくうれしいです!!
ぜひ、木下大サーカスに遊びに来てくださいね♪
以上、木下大サーカスの団員さんたちのインタビューでした。皆さんに共通しているのは、とても明るくて、サーカスをこよなく愛しているということ。お話を聞いてから観るサーカスは、一味違ったものに感じました。一見の価値ありです!!